野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

荊州を争う

魯粛周瑜。天下の英雄、酒を交し天下を語る」

赤壁では、江東の周瑜指揮下の孫権劉備連合軍5万は曹操軍83万を火計をもって打ち破った。
敗北した曹操軍が撤退した後の、空白地帯となった荊州北部を、孫権劉備が奪い合うことになる。

天下の主導権は荊州を得た勢力が握ると言っても過言ではなく、曹操孫権劉備が夫々の思惑を持って狙っていた。
赤壁に敗れた曹操が許都に帰り兵を整えている間、赤壁で連盟を組んだ劉備孫権は夫々に荊州獲得に動く。
その駆け引きは、何れの陣が荊州を治める事の理があるかの論とその弁舌が面白い。

そんな中にあって、BSフジ三国の第4部「荊州争奪」の節では、魯粛は別格の取り扱いで、この節の主役は魯粛のように思える。
周瑜とは両極端の性格であるが、周瑜は遺言で大都督の後任に魯粛を任命するように言い残したほどの人物。
周瑜孔明の間では、荊州を巡ってしばしば紛争が起こしていたが、魯粛劉備と同盟し、曹操に当たることが呉の将来のためである信じ、
劉備には常に友好的な態度で接し、事を荒立てないようにした。
しかし、常に毅然とした態度で臨み、最終的には兵を用いずして荊州南部の三郡の取返しに成功した人物。

荊州争奪」では、呉の孫権魯粛を、劉備は伏竜の孔明鳳雛の龐統を得て、いよいよ荊州から西蜀へ入るための準備を進めることになる。
劉備の西蜀戦略をもって、三国が徐々に形成さる方向に動く。


前のブログにも書いたが、「漢民族には苦手な武力戦を避けて謀略や政治・心理戦によって戦わずして戦争目的を達成しようとする思想があって、
例え、戦争になったとしても「武力戦は最小限にし、努めて「遠交近攻」など外交戦による解決」を追求する思想がある」らしい。
この戦略思想を絵に書いたように展開したのが、「荊州争奪」の節だった。



★話は変わるが、中国の歴史には興味があって、関係する書籍を購入したり、図書館で借りたりして読んでいた。
 中でも、三国の時代から、更に140年ほど続いた「五胡十六国時代」へと続くが、その攻防の歴史はすさまじい。
 面倒なぐらい次々と変わる王朝、しかもその主役を演じたのは漢民族ではなく、今の満洲、モンゴル、チベット人等の異民族だった。
 当時も、殆どの民人は百姓だけど、一部の人のみが、それも大陸に住む漢人に加えて異民族も絡んで、お金を名誉のために殺し合って領土を奪い合っていた。



三国志を含め、中国の歴史では、領土いわゆる城を確保することで支配地域を拡大し、次第に領土が拡大していくのだが、領土意識は強烈にあるようだ。

例えば、武田邦彦の「尖閣・千島 お隣の国、 占領されると領土が拡がる中国」では、中国(漢人)の領土解釈について、面白い解説がある。
前漢後漢の領土として知られている地図は、もともと「国境」がハッキリしていないのだから、「固有の領土」なるものはなく、
 「ここは我が領土と書いた方が勝ち」で最大版図がその王朝の領土であったことになったとする」

清朝はもともと満州民族が作ったのだから、支那満州に占領されていたのが清朝だ。
 その清朝が衰えて、満州に帰った。そして、もともと漢の時代に「中国」の領土だった「支那」の地域に中華民国ができた。
 すると、それは「中華民国」が「満洲は俺の領土だ」と宣言したから面白い。異民族に占領されていくと、「支那の領土」つまり「漢人の領土」となると言う。」

「つまり、武力にも工業にも頼ることができない支那の人はそれなりに生きるすべを身につけていた。
 それは「自分のものは自分のもの、他人のものは自分のもの、自分の土地を占領した人の土地は自分のもの」という「なんでも自分のもの」という主義である。
 これを中華思想という。」


実に面白い論理なのだが、「中国人が考える領土とは」をもう少し調べてみた。
Yahooにも面白い解説があった。これも分かり易い。

つまり、秦朝から数えて約2200年の歴史のうち、漢族が全土を支配したのはたかだか1000年にも満たない。
残る1000年以上は『五胡十六時代』といわれ匈奴、羯、鮮卑、氐、羌族が胡人として中原を一時的に交代で支配し、
漢族は南方に押し込まれたり、あるいはモンゴル族満州族を始めとする北方民族や金族や女真族といった朝鮮系の異民族によって、
人口において億を超す漢族の王朝がこれまた遠い南方にまで押し流され、時に滅ぼされている歴史を繰り返している。

もとより、この考え方には、中国の歴史学会でも異論百出である。
というのは、もしこの説が正しいとするなら中国人とは漢族のみということになるからで、そうではなく、
たとえば五胡といわれる民族群女真族も金族も中国内部の一地方族であり、その地方部族勢力が天下を統一ないしは半統一したのであって、
これは民族抗争ではない地域国家の政権戦争なのだと主張する学者もいるのである。

しかし、いずれにしてもその人口、その文化文明力は圧倒的に勝っていても、戦に限っては、漢族は極めて弱いことを証明しているといえないだろうか。
これは世界史においても例外的なことだろう。
2200年を超す歴史のうち、その半数以上の年月を少数民族に支配されているのは、ひとり中国史における漢族だけだと思われる。
しかし負けながらも漢族は滅亡せず、モンゴル族満州族女真族も支配したはずの漢族の文化に逆に溶け込んでしまい、その結果、
独自の文化や文字どころか領土までをも失ってしまったのだ。

漢族が作り上げた中原の文化力に溶解してしまったのである。漢族は『負けるが勝ち』を実演しているのである。
ただし、先に述べたように、このような見方を中国の歴史学界は否定するわけだが・・。
これも仮の話だが、日本が中国に勝利していたら、モンゴル族満州族のように中国文明の中で溶けてしまっていたに違いない。

 

★ところで、BSフジ三国での、曹操の部下掌握術は他の将に比べても群を抜いて上手い。

そこで、戦闘状態に近い組織下で、直接の部下から見た、戦闘時のリーダーシップはどういう質の人材が望ましいか、
航空自衛隊の指揮官でもあった、軍事評論家の佐藤 守が記述している。
これは、学者が唱える「リーダー論」では無く、戦闘状態にあるとする組織での、リーダーに求められる資質を実体験をベースに述べている。

「我々戦闘機乗りの合言葉は「ステイ・ウイズ・リーダー」。つまり、どこまでも編隊長についていくという「編隊精神」である。
 そのためリーダーたるものは、部下以上に修養を積み、知識技能はもちろん、人格も円満でなくてはならない。 
 航空雑誌に求められて、戦闘機パイロットに向かない者を上げさせられたが、
 私は「強がりをいう。弁解する。依頼心が強い。うそをつく。人間的に信用できない」者は絶対に向かないが、 
「誠実で努力がみられる者」は技術的には下手でも教官が引き上げる、と答えた。

 さらに私の4年4か月にわたる戦闘機操縦教官としての体験で言えば、「平常心」「几帳面さ」「敬天愛人の精神」「節制心と自制心」が大事だとも付け加えた。
 つまり、3次元の世界でパニックに陥ると一巻の終わりだし、几帳面さがなければミスプロシージャーに気が付かない。
 そして厳しい3次元の世界に畏敬の念を抱き、酒や○○におぼれない自制心が大切。
 結論として、現代の指導者に欠落しているものは、「判断力」と「勇気」、そして「人間的魅力」だと結んだ。
 いずれにせよ、3次元の世界では人間性は隠しようがないし「はったり」は通用しない。
 「このリーダーなら、どこまでもついていける!」と部下が感じるか否かだ。」


・・・戦闘状態を仮定して組織を纏めるリーダーに求められる資質として大いに参考になる。