何時から再放送開始されたかは知らないが、たまたまチャンネルを回したら、懐かしい番組が放送されている。昔、NHKで放送された「蒼穹の昴」を民放が再放送している。NHKの放送時も欠かさず見たが、今回の民放の再放送もここ一週間(再放送されているのを知ったのが遅かった)は毎日見ている。兎に角、豪華絢爛な衣装に立派な建付けに感心することしきりだが、わずか130年程前の清国王朝の物語で、当時の主権者の考えが簡易に表現されて面白い。
「日本人女優田中裕子演じる西太后:北京華録百納影視有限公司」主役は清国の「西太后」、ウキペディアの番組概要は「舞台は光緒12年(1886年(日本:明治19年))から光緒25年(1899年(日本:明治32年))までの清朝末期。貧家の子、李春雲(春児)は糞拾いによって生計を立てていたが、貧しい家族のために自ら浄身し、宦官となって西太后の下に出仕する。一方、春児の義兄で同郷の梁文秀(史了)は、光緒12年の科挙を首席(状元)で合格し、翰林院で九品官人法の官僚階級を上り始める。清朝の内部では、政治の実権を握っている西太后を戴く后党と、西太后を引退させて皇帝(光緒帝)の親政を実現しようとする帝党とに分かれ、激しく対立していた。后党と帝党の対立は、祖先からの清朝の伝統を守ろうとする保守派と、衰えた清朝を制度改革によって立て直そうとする革新派(変法派)の対立でもあった。両者の対立は、やがて西太后と皇帝の関係にも、深い溝を生んでゆく。春児は西太后の寵を得てその側近として仕え、一方、文秀は皇帝を支える変法派若手官僚の中心となる。敵味方に分かれてしまった2人は、滅びゆく清朝の中で懸命に生きていく」とある。
物語は、西太后を中心に当時の光緒帝、李鴻章、康有為、栄禄等の実在の人物に架空の人物(春児や梁文秀等)を織り込ませ、当時の清朝の動きや苦悩を浮き出させるという設定で、日本の明治政府や日清戦争等、良く知られた歴史的事実が次から次と出てくるので非常に分りやすく、当時の江戸末期から明治期の平等に貧しかった日本と、少数民族が当時世界最大の大国家を運営し富を独占すると言う、中央集権化が極端に進んだ清国、両国家がそれぞれに西洋からの植民地化を阻止しようと、どのように国家を運営していったかを、NHKで放送されている同時代の「西郷どん」と見比べると面白い。
数年前、田所竹彦著「近代中国 七人の猛女たち」を読んだことがある。中国女性の美しさへの追及と逞しさはどこから来るのか知りたくて読んだ。七人の猛女たちとは、西太后から共産党の江青までの近代中国に足跡を残した七人の女性を取り上げている。その巻頭にあるのが西太后だった。この本では、西太后をこう解説している。「美しく、穏やかな風貌で、40才(実際は68才)位にみえた。ひたいは広く、目元涼しく、口や鼻は整っていて、あごはふくよか。耳は平らで形よく、歯並びも綺麗だった」「肥ってもやせてもいず、白い皮膚にはシミ一つなかった」。そして、この美貌を維持するための美容法や食事がすごかった。しかも、西太后は清朝以来の典故や歴代皇帝の言行録、主な宮廷文書への知識は抜群で記憶力も優れていた。冷静で緻密を極めたその一挙手一投足は、他の妃はとても及ばなかった。このような人物が後宮の側室として皇帝の話し相手に成っていくのだが、皇帝の寵愛を受ければ受けるほど、皇帝亡き後の処遇に厳しいものがあった。生きるか死ぬかである。現代では清国を亡国に導いたとする否定的な評価も多いが、西太后は頭の回転は並はずれて素早く、行動はおおむね果断で、当時の世界最大国家清国の最高責任者としての威厳を終始失うことはなく、むしろ欧州列国や日本等列強の植民地化から清国を守ったとする評価もある。「蒼穹の昴」で西太后を演じる日本人女優の田中裕子さんの好演もあって、西太后の毅然とした動きはまさに溜飲ものだと思うし、中国人も「西太后の気質、気勢、威厳といったものを表現している」と高く評価しており、「七人の猛女たち」に描かれた西太后の素顔と概ね一致している様に見える。
このように怒涛の時代を生き延びた西太后の歴史の挙動をみると、民族間の殺戮を繰り返すことで国家を成り立たせてきた中国の歴史の中で、国家のリーダーとしての壮絶な女達の戦いの歴史だったと感じられるが、それにして何で中華民族の歴史はこんなに面白いんだろう。一方、あれだけ隆盛を極め高度な文明を誇った大清帝国が何故欧州に食い荒らされたのかを、池田信夫さんのブログ「植民地支配が近代科学を生んだ」のなかで、「人類の歴史の大部分で世界最高の文明国だった中国で「産業革命」が起こらず、なぜヨーロッパの小国イギリスで起こったのか、というのは歴史の謎である。その一つの要因が近代科学だが、中国の技術的知識はヨーロッパよりはるかに進んでいたのに、それが「科学革命」に結びつかなかったのはなぜだろうか。それは中国が文明として完成していたからだ、というのが本書の答である。中国の学問は四書五経を解釈することであり、エリートの条件は古典を暗記することだった。論理は重視されたが、その論証の根拠は古典の記述であり、事実で古典を否定することはできなかった。ここではオリジナリティは重視されず、イノベーションには価値がなかった。ヨーロッパ中世でも最高の知識人は、聖書やアリストテレスを読んだ聖職者だったが、それを変えたのは16世紀以降の植民地支配と戦争だった。特にイギリス人が自国よりはるかに広い新大陸を支配し、多くの異民族を統治するには、古典は役に立たなかった」と、世界最高の文明を誇った中華民族が欧州に食い込まれていった理由を簡単に解説しているが、成程と思った。