9月28日の産経ニュース【銀幕裏の声】”サムライ”と呼ばれた男の続編が掲載された。22日の産経ニュースに掲載された「”サムライ”と呼ばれた男(上)」につづく下巻なので、転載しておこう。
『米ドラマ「白バイ野郎ジョン&パンチ」で、ジョンとパンチの白バイ警官が乗っていたKZ1000POLICE、ハリウッド映画「トップガン」で 主人公の戦闘機パイロットを演じたトム・クルーズが乗っていたGPZ900R。いずれも劇中で日本のカワサキ製バイクが活躍している。 「どうしたら後発メーカーのバイクが米国に浸透できるか? 自分が開発したバイクで米大陸も横断しました」。こう振り返るのは、 これら傑作バイクの生みの親である元川崎重工常務、百合草三佐雄さん。米国でカワサキモータース(KMC)社長などを務め、 カワサキの大型バイクを米国市場に普及させた立役者だ。だが、決して順風満帆ではなかった。「とんでもない事件が起こったんです…」。軌道に乗り始めた大型バイク事業を脅かし、社の存続さえ揺るがす事件の真相を百合草さんが吐露した。
「白バイ警官転倒続発で“欠陥バイク”の濡れ衣 敗訴で賠償金100億円」
百合草さんが開発に関わったZ1の白バイバージョン「KZ1000POLICE」は、米国のCHP(カリフォルニア・ハイウェイ・パトロール)や、 LAPD(ロサンゼルス市警)などで採用後、米各都市の警察でも採用が決まっていった。KMCのR&D(研究・開発)所長時代、百合草さんが奔走した結果、 その高い性能、信頼性が全米で認められた証しだった。 「しかし、帰国後、とんでもない事態に見舞われたのです」と百合草さんが語り始めた。 「テキサス州で白バイ警官が転倒する事故が起きたのです。それも何件も発生し、その原因がバイクの欠陥だとして集団訴訟を起こしてきたのです」1983年、カワサキ側は敗訴。その賠償金は当時の日本円で約100億円という巨額にのぼった。さらに米交通安全局はリコールするよう通達してきた。 「社の上層部からは“もう会社はつぶれてしまうかもしれない”と言われました。しかし、私は絶対におかしいと思いました。 バイクの安全性については、CHPやLAPDなどでの白バイ採用の厳しい合同テストをクリアし、絶対の自信を持っていましたから」 百合草さんはすぐに米国の弁護士に相談したが、返事はつれなかった。「米国で判決を覆すのは難しい。リコールで応じた方がいい」。つまり泣き寝入りしろという提案だった。この対応に、いつも冷静で謙虚な百合草さんが怒りを爆発させた。「そんなばかなことがあるか。私たちは時間と労力を惜しまず安全で高性能なバイクを開発した。 断じて欠陥バイクなどではない!」と。
「事故が起こって当然? ずさんなメンテナンス」
百合草さんは直接、同局へ出向き交渉した。理路整然とした百合草さんの反論を聞き、同局は「調査のために1年間の猶予を与えよう」と提案してきた。 ただし、立証責任はカワサキ側にあった。 百合草さんたちはただちに調査を始めた。すると、驚くべき事実が明らかになってきた。 日本と違い、米国の白バイ警官は自宅から白バイに乗って出勤、そのまま帰宅していた。バイク管理は個人に任され、毎月決まったメンテナンス経費が個人あてに支払われていたのだ。 「しかし、彼らは経費を浮かそうと、バイクが壊れるまでメンテナンスしていなかった事実が分かってきたのです」 いくらタイヤが摩耗しようと、チェーンが傷つこうと、故障する限界までメンテナンスを怠っていたのだ。白バイはいつ転倒してもおかしくない状況で、 高速運転で逃走車両を追跡するなど過酷な業務を行っていた。 百合草さんたちは約3カ月の調査で、これらの結果をまとめ同局へ提出した。その結果、“欠陥バイク”の汚名は返上。リコールも免れ、巨額の損害賠償の危機も回避された。
「クライスラー&カワサキ製 “幻”のスポーツカー秘話」
米国のバイク市場で“世界最速”の名をほしいままにしたカワサキの大型バイク。その性能に、ある巨大自動車メーカーが目をつけた。「実はクライスラー社から、カワサキのエンジンを積んだ小型スポーツカーを共同で開発できないか、と提案してきたのです」1985年当時、日米を代表する技術力を誇る両メーカーによる夢の高性能小型スポーツカーの共同開発計画が進んでいたというのだ-。 百合草さんはカワサキ側代表として何度もクライスラー側と交渉を重ね、急ピッチでテストカーの開発は進められたという。 「第一次のプロトタイプカーが完成。私も試乗しましたが、若者向けの優れたコンパクトカーでしたよ」と百合草さんが明かす。 しかし、突然、クライスラー側は新車の開発を中止し、計画は幻に終わる。当時、クライスラー側で新型スポーツカーの開発に最も熱心だったスパーリック社長が、 アイアコッカ会長との意見の相違で退社したのが原因とされているが、真相は不明だ。 もし、カワサキエンジン搭載のクライスラー製スポーツカーが販売されていたら、現在の世界の自動車メーカーの勢力地図は違った形になっていただろう。 百合草さんはアイアコッカ氏とも親交が厚く、「なぜ彼は計画を中止したのでしょうか? Z1などのバイク技術が、四輪にどう生かせていたか-と想像すると残念でなりません」と 百合草さんはつぶやいた。
「夢はバイクから航空機へ」
長年、バイクの研究・開発、米国での販売などに尽力した百合草さんは平成5年、川重取締役となり、航空宇宙事業本部副本部長兼ジェットエンジン事業部長に就任する。 「私は航空機を作るために入社したのです…」。血気盛んな新入社員の頃、上司に申し出た百合草さんのこの熱い思いを会社はずっと忘れていなかったのだ。 昨年初飛行に成功した国産初のジェット旅客機「MRJ(三菱リージョナルジェット)」の開発には、その中心となった三菱航空機の他、 企業の垣根を越えた“オールジャパン”の技術力が結集されている。そこには、「日本航空宇宙学会」関西支部長や「日本航空機エンジン協会」理事などを務め、 日本の航空機産業の発展に長年尽力し、そしてYS11の設計者の一人、土井武夫の遺志を受け継ぎ、誰よりも航空機を愛してきた男、百合草さんの智恵が生かされている。』