野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

2枚の写真


★先日のfacebookに、和田 将宏さんが投稿していた一枚の写真がこれ。
 「'70年 23・24才の写真だよ~
  125ccと混合レースで総合2位だったよ~ タイムの記録は??
  ツナギはまだ黒一色  おわん型ヘルメットにゴーグル。担当して頂いたメカニックは的野さんで~す 」

和田 将宏さんの隣で、キャブのPSかID調整(多分)している#2ゼッケンがカワサキの的野さん。

          

★もう一枚は、元カワサキワークライダーの立脇選手の facebook にあった、FB仲間の堀内雅史さんが投稿したとある写真。

  USモトクロスワークスチームの日本テスト時の写真と思うが、K.ハワートン(上段の金髪)、J.ワード(下段中央で帽子)、上段左端が立脇選手。
  下段の女性とワードの間がカワサキモトクロスの的野さんでテストの纏め役。
      

両方に写っている「的野さん」。
モトクロスを担当する前はロード担当だとは知らなかったのだが、ある時、「的野さんは鈴鹿サーキットのタイム記録保持者」と教えてもらった。
だからロードレースに縁が深い事は当たり前のことだが、モトクロス担当の印象が強い。

モトクロスの車体実験責任者でサス担当でもあった。
カワサキKXのサスペンションが市場から長く好評価を受け続けていたのは、的野グループの功績がある。
「ユニトラックを装備したワークスマシンが実戦に投入されると、一大センセーションを巻き起こし、'80年代初頭から始まるKXシリーズ台頭の急先鋒となった。
 量産車としては'80年に量産KXに適用されて以来、'86年には、今日の原型となるボトムリンク式のユニトラックがデビューし、
 リンク方式を改良しながら現行タイプへと進化していった」 とは「kawasaki DIRT CHRONICLES」の一節だが、この中心にいたのが的野さん。

’80年代以降、エンジンの開発とサスペンションを中心とする車体開発の融合がKXのプログレッシブ改良の両輪だった。
日本のサス担当と米国開発担当ライダーだった、M.プレストンやM.フィッシャー達が量産移行手前まで仕様決定のテストを執念深く繰り返した。
結果、雑誌社の好評価も相まって、KXの販売台数も飛躍的に伸びた時代。

「エンジンのトラクションをRサスで叩き出す」、エンジン性能をサスペンションが引き出す事も多く、開発組織が上手く回転していた。
勿論、KXのエンジンは時代に先駆けた新機構を順次採用し高い評価を受けていたが、同時にサスペンションも市場から高い評価を得ていた。
カワサキは、的野さんを中心にサスペンション専門家を育成し確保していたので、サスペンション仕様を生産会社に一任することは一切なく、
カワサキの固有技術としてサス開発技術を開発部内に蓄積出来ていた。

ある時、サス専門会社の新事業部長が挨拶に各社を訪問され、意見を聞かれることがあった。
他の二輪メーカーはサス担当会社への要求事項を多く出したらしいが、カワサキはしなかった。
理由は簡単。そのメーカーを高く評価していたから、そのままの意見を述べただけ。
当時は、サスペンション、電装、気化器等の主部品メーカーを取り込んだ、「チームカワサキ」を構成していた。
「チームカワサキ」がレース体制支援から量産に至る開発を共同分担していたので、互いのコミュニケーションも上手く機能していた。
つまり、チームカワサキに対してのロイヤリティが極めて高かった時代だった。


当時、カワサキモトクロス最大の競争相手はホンダだが、部品メーカーも同様にホンダ系列企業と熾烈な競争に晒されていたので、互いの利害が一致したこともあって、
サーキットでもカワサキのレースジャケットを着用し、チームカワサキの一員として、カワサキを勝たせるための競争だった。
だから、新規技術はカワサキチームに持ちこまれレースに供与され、他社が使いたくとも2、3年待たされた事もあったと聞く。


ある時、サスの競合メーカーからの全面的支援体制の申し入れがあったが、的野さん等の回答はNO。
理由は簡単で、「カワサキの競争相手と組んでいる部品メーカとは組まない」と非常にシンプルな理由だった。
レースや量産開発という目的を通じて、強い信頼関係を築いていた。
勿論、コスト意識も互いに共通認識があったのでやり易かった事も事実。


遠い昔の話なので今では冗談まがいに話せるが、当時は勝つために必死だった。
どのような体制にしたら、勝てるかを真剣に考えていた。


ところで、的野さんは堅実なゴルフをされるのでスコアも纏まり感心するほど上手いのだが、それは仕事への打ち込みと良く似ている。
性格は変わらないのだ。

     



★話は変るが、上記写真にある、スズキから移籍してきたK.ハワートンからも貴重な意見を得ることができた。
 K.ハワートンの仕事は当時のUSワークスライダーの指導とマシン開発へのアドバイスが主契約だったと思う。
 ある時を境に、特に大きな仕様変更もしていないのに、日本に伝わってくるのはマシンの悪い面ばかりが強調されてくる。
 不思議に思っていたが、ハワートンがテスト来日した際に理由が判明した。

 ハワートンの答えはこうだ。
 「KXマシンは何も基本的に悪い事はないし、他社と十分な競合力がある」「あえて挙げる改良点はこれだけ・・・」と非常に明快。
 その旨を伝えたFAXが在るはず(後から出てきたが)とのこと。

 互いに目を見て面談するコミュニケーションの重要さを認識した。正しい事実を正しく伝達し組織の風通しを改善させるかの重要性の再認識。
 常に情報の共有化を優先した行動を取った米軍に比べ、そこに蔓延する空気だけを優先した旧日本軍のような組織、その差異が勝つための阻害点だった事を、
 ハワートンの来日が気付かせてくれた。ウソのような話であるが、時として陥り易い要素でもある。


★面白い時代であったことは確かだと思うし、良い時代を過ごさせてもらった事を二枚の写真から思い出した。