野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

往年のカワサキモトクロスワークスライダー (続)

16日のrfuruyaさんの「雑感日記」に、往年のカワサキモトクロスライダーがカワサキと契約に至った経緯等を説明して頂いた。その中では安井選手も取上げてもらったが、彼は名古屋出身で、名古屋の著名なモトクロスクラブ「クラブ太閤」に所属していたと思う。安井選手については、ブログ「野々池周辺散策」の「モトクロス黄金時代」の中でも取上げているので再投稿してみたい。

★書籍「モトクロス黄金時代」
       「モトクロス黄金時代の表紙を飾った2名のカワサキライダー」

「表紙は1972年の全日本モトクロス選手権第1戦谷田部大会で、ゼッケン9番はヤマハの瀬尾勝彦選手、そして、右のゼッケン28番の赤タンクがカワサキワークスライダー安井隆志選手。 その後の水色ジャケットがカワサキストライダーの斉藤昇司選手でモトクロスのエキスパートジュニア時代との事。斉藤君は安井選手のメカではなく、セニアレースのスタート場面に偶然立ち寄った時の写真だそうだ。 これ等の情報はライダーの阪口君が教えてくれた。」

「安井君は、モトクロスの学士ワークスライダーとしてカワサキマシンでレース参戦し、その後、’73年に川重に入社した。 入社後一貫してモトクロスやロードレースの開発/レース運営の中枢で活動し、カワサキレースの歴史を実体験した数少ない貴重な人材である。カワサキが世界のトップを邁進していた時代や他社の後塵を浴びていた時代をともに経験し、つまりカワサキの欠点を最も 熟知している。 逆にいえば、どのような戦略そして組織にすればカワサキが勝てるかを肌で知った経験者だ。しかも加えて、世界の モトクロスフレームの基本となった、「ぺりメータフレーム」の開発責任者でもあり、優れた設計者でもある。ぺりメータフレーム構 造は現代の世界のモトクロスマシンの標準設計仕様となっている。」

カワサキがBrad Lackeyと契約し世界モトクロス選手権参戦時、派遣技術者として大変な苦労を経験し、レースにおける支援体制の重要性、本社の役割のあり方を経験した。 ハードウェアの設計者でありながら、カワサキレーシングチームの監督として全日本選手権を駆け回るソフト活動も上手にかつ真剣に展開した多能な人。 ロードレース運営にも深く関与し、’93年からモトクロス開発陣がロードレース運営や開発も統合して見ることになった時期以来、ロードレース活動の中心人物でもあり続け、鈴鹿8耐カワサキが初優勝し、その後もカワサキ8耐の表彰台を守り続けた時代の現場責任者でもある。カワサキが世界のレース界で最も輝いていた時代を含めて、中心にいた人物だ。このような人物がカワサキにいて活躍したからこそ、カワサキレースの歴史が守り続けられたと思う。」


★次は、2011年10月の「ON ANY SANDA]をブログにのせた時の写真。
       「安井君と当時のメカニック和田さん」

昨年の10月だから、上記の表紙写真から39年後の安井君の写真。
全日本モトクロス選手権に参戦した当時のマシンと安井君本人(右)そしてマシン担当の和田修さん(左)。
実に良く似合うな。
安井君は今なおカワサキモータースポーツ戦略の中心にいる。

         
カワサキモトクロスOB会メンバーの和田修さんはもうすぐ自由の身になるそうだ。
和田さんも、カワサキのモトクロスやロードレースの盛衰を肌で感じてきた数少ないカワサキの貴重な人材なんだが、次第にカワサキレースを支えた人々が少なくなってくる。だけど、和田修さんは自身のブログ「Sam'sダイアリー」を持っているので、貴重な意見を含めた面白い投稿記事を期待できるはず。

★本ブログでも何度となく取り上げてきたが、レースに勝つと言うことは大変難しい。
マシンが完成さえすれば、あるいはライダーを確保さえすれば、簡単に勝てるだろうという人達に何度となく説明してきたが、「勝つのは簡単なことではない」、と。たしかに単に競争相手に勝つだけのことだが、日本メーカー4社+αがそれぞれ勝つという目標は同じなので、当方が相手より相対的に強ければ勝てて、弱ければ負ける。勝つ確率は戦う土俵の選択と投資できる資源量そして如何なる戦略で戦うかで或る程度決まるが、これ等は企業経営と同じ。自社に運営経験が乏しい時期に、既存チームにレース運営を委託したり、他社の経験者を呼び込む術もあるが、成功した例は少ない。従って、戦いの過程で蓄積された人的知識・技能の伝承が最も必要なレース組織は自社内で教育し育て上げるべきであると思う。実戦経験者がどんどん少なくなっている現状、真剣に考えておくことだと思う。

そんな経験を積んできた数少ない人材が安井さんと和田さんである。